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僕は人間が試行錯誤していること、足掻いていることが好きなんです。分からないから足掻く。暗闇の中で模索するのが好きなんですよ。お互いに局面が分からなくなって、手探りで足掻いて藻掻いていくのが好きだということは、昔からずっと変わらないです。足掻くためには力を衰えさせてはいけなくて、感覚や読みの力も増していかないと足掻くことすらできません。知識ではなく力を強くできるかどうかなんです。

本質的な部分で言えば、僕は『正解』を求めてはいません。正解が多くなって、正解の精度があまりにも上がってしまうと、僕はどうやって棋士として生きていけばいいのか分からないです。正解を見つけるより、正解を隠す方に惹かれます。道が出来た将棋ならば、道を暗闇に落とし込んでしまいたい。地図があるならば、地図上のデータを無くしてしまった中で勝負したいんです。
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A級昇級・山崎隆之八段ロングインタビュー <3> - スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20210206-OHT1T50058.html

将棋棋士・山崎隆之八段の、順位戦A級への昇級が決まった。プロ棋士になり順位戦に参加し始めてから「23期(=23年)」でのA級到達は、史上最長とのことだ。

棋界の仕組みといった細かい話はさておくとして、そもそも「A級に到達すること」自体が素晴らしい戦績を物語っている。ここに一度も到達することなく引退していく棋士のほうがよほど多い。つまり、山崎八段の記録が特異なのは「A級に到達できるほどの秀でた実力を持ちながら、A級到達までに23年もの時間を要した」という点なのである。

順位戦のシステムにおける最速の「4期」でA級まで辿り着いた加藤一二三(かとうひふみ)九段をはじめ、谷川浩司九段や羽生善治九段のような超一流の棋士は、プロ入りしてからすぐに頭角を現し、もっと早い段階でA級に到達している。あまり無責任な期待を押しつけるのは良くないが、いま棋界を席巻している藤井聡太二冠もすぐにA級へ到達するであろうことはほとんど確実と言える。

山崎八段は、僕が最も好きな棋士だ。他の誰にも真似できない――真似しようとすら思えない独創的な指し回しが特徴的で、どの棋士でも気付くような負け筋を見落として敗北したかと思えば、どの棋士でも考えつかなかったような駒組みからとんでもない勝利をも収める。

ユニークな着想と感覚を重視する山崎八段の狙いがぴったりとハマって勝ったときの棋譜には、どんな将棋ファンでも驚嘆せざるを得ない。そんな会心譜を期待して観戦すると、序盤から良いところなく、あっさり負けたりする。観戦する誰もをヤキモキさせる棋士でありつつ、誰もをワクワクさせる棋士でもある。

将棋の戦型には大きく分けて――いや、分け方にも色々あるのだが、その中でも特に大雑把な分け方として「定跡型」と「力戦型」がある。

定跡型は、例えるならF1のレースのようなものだ。先人たちによって研究されてきたコース取り(=定跡)を参考にして、地道な鍛錬と研究を重ねに重ねてきた競技者同士が、コンマ数秒を争う。どこまで前例に倣うか。どこから前例を外れるか。工夫と用意と精密さが要求される。「相矢倉」という一つの形では、「91手目までが定跡」とされている組み方さえも存在する。

いっぽうで力戦型は、もっと適切な例えがあるかもしれないが、ラリーレイドのようなものに近い。主に舗装されていない道を走る耐久レースで、その場その場での判断力や忍耐力などが物を言う。部分的な緻密さよりは、思いどおりでない故障を抱えたりしながら、どうにか全体をまとめ上げていく力が要求される。

勝敗がそのまま収入等々に関わってくるプロの世界で、力戦型を好む棋士は……つまり、定跡を研究して勝ちやすいと思われる手順や局面をあらかじめ用意していくのではなくて、「その場その場での判断」を重視していこうと思えるだけの自信や勇気や無謀さを持って対局に臨む棋士は、多くない。しかし山崎八段はそうした力戦型を自ら志向する棋士の筆頭格だ。

最近は対局数や研究が進み、相手に安心感を持って指されることが多くなった。私はこの“安心感”という物を持って、指すのも指されるのも好きではない。
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山崎隆之(2015)『山崎隆之の一手損角換わり』 株式会社マイナビ P.106


野月「結局、相掛かりは何が楽しいの?」
山崎「それは悪路じゃないですか。道なき道を進む。互いに怖いところですね。怖い思いをしないといけない。」
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野月浩貴・山崎隆之(2013)『相掛かり無敵定跡研究』 株式会社マイナビ P.191

トークを聞けば軽妙で親しみやすく、はにかむような表情が印象的で、笑っていいのか迷うラインの自虐や毒舌でも楽しませてくれる山崎八段だが、その独特の将棋観には、カジュアルに話しているときの姿とはおよそ重なっては見えないような負けん気の強さと、険しい美意識とが滲み出ている。

山崎八段の力戦を志向する棋風は、単なる奔放さの表れではなく、また理性のみによって制御されているのでもなく、弱気と強気、暗さと明るさ、諦めと希望、逃げる姿勢と攻める姿勢とが混ざって混ざりきらず、あのように――山崎八段の言葉を借りるなら、「グネグネした形」に――なっているのだろう。僕はそんな山崎八段の将棋がとても好きだ。悩んで足掻いてひねり出す手の数々は、対局結果としての勝敗とは関係なしに、いかにも人間的で格好良いと思う。

情けないですけど、僕は男らしくもなれないし、大人しく従うことも最後までできない。中途半端なんですけど、自分の天の邪鬼な性質なのでしょうがないな、とちょっと諦めてる部分もあります。いちばん怖いのは戦いにすらならず、足掻くこともできないことです。
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A級昇級・山崎隆之八段ロングインタビュー <3> - スポーツ報知
https://hochi.news/articles/20210206-OHT1T50058.html

折しも、このタイミングで、広島出身である山崎八段も幼少期に通っていた、西日本でも有数の将棋道場「広島将棋センター」が来月をもって閉所することが決まったらしい、という報せにも最後に触れておく。

広島将棋センター 代表あいさつ
https://hiroshimashogicenter.web.fc2.com/koushin.html