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郵便受けに、「消防設備点検のお知らせ」が届いていた。はっきりとは記載されていないけど、おそらく居住者が指定の日時に在宅していることが望まれているタイプのやつだ。加えて、家のなかに入ってもらうには、僕自身がその日時に起床状態でいる必要もある。

お知らせの紙を引き出しとかにしまったら絶対に忘れるので、普段はこういうことはしないのだが、僕の居室におけるホームポジションである机・椅子のすぐ横の壁に、この紙をマスキングテープで雑に貼りつけた。パソコンのディスプレイを見ようとすれば、間接視野で常に目へ入ってくるような位置だ。

貼った瞬間から、明確に気分がダダ下がりした。この降下の仕方については、ダダ下がりという少々俗な言葉こそが最もニュアンスを的確に表している。

この設備点検は大事なことだと分かっているし、分かっているからこそ、忘れないように紙を貼っておいた。しかし、「忘れてはいけないこと」が自体が相当に煩わしい。それも、日時の指定を伴って、である。また、自分でやったことだが、お知らせが常に視界へ入ってくることにも非常にストレスを感じる。

僕には、利便性や機能性を差し置いて、ある種の美しさを志向するきらいがある。ここでの美しさは、大枠ではシンプルさや簡素さとも言い換えられる。たとえば、本に付箋をペタペタ貼ったり、文章の大事なところを蛍光ペンでマークしたりするのは、僕にとって煩わしくて、美しくなくて、ずっとずっと避けている。なんというか、何かに注意を向けるという行為は、僕が自らによって行うものであって、いたずらに喚起されたくない。

自らの注意不足で失敗したり怒られたりすることと、喚起されて注意過多な状態で感じるストレスとを比較すると、僕は、まだ失敗したり怒られたりするほうがマシだと感じる。実際、人生を何年もやってきているから、そのようになってしまった経験も数多くある。そうした失敗の数々について、もちろん快くは思っていないし、今後もあまり経験したくないけど、それでも、注意を喚起され(続け)ることによる煩わしさや息苦しさのほうをより優先的に遠ざけておきたい。

とはいえ、今回の設備点検は、お知らせの投函から一週間もしないうちに行われる。つまり、お知らせの紙を壁に貼っておく期間も一週間以内で済む。これくらいであればなんとか頑張って許容して、それが終わった後に自分へご褒美を与えるなどして労おうと思う。

こういうウェブ記事 ↓ が、つい最近アップされたっぽい。

放送大学にはサークルもグラウンドもあった!放送大学ってなんなのか聞いた
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/okichi12

放送大学、なんか良いよな。前々から良いとは思いながら、よく調べたことって無かったかもしれない。「放送大学には日本全国に学習センターやサテライトスペースと呼ばれるキャンパスのような施設がある」のは、初めて知った。そうなんだ、と思った。

すぐにじゃないけど、何か履修してみようかな。「実は放送大学に入学される方で1番多いのが40~60代の方なんですよ」というのも心強いというか、安心できる気がするし。生涯学習としての利用が多いから、就職のための単なる通過点として大学を捉えている多くの学生よりもモチベーションが全体的に高そうなのも良い。そういう人たちと関われる機会が持てるのは刺激になりそう。

記事中に写真の載っているグラウンドがあまり整備されていなさそうなのは気になったけど、グラウンドがあるということそれ自体で良しだと思う。いい大人たちが集まるなら、整備されたグラウンドを利用したい場合は、誰かに整備されるのを待たずとも自分たちで整備したり、それを呼びかけたりできるはずだ。