人間という身体(ハードウェア)が持つ制約のうえで、気力や体力が最も充実する(していた)時期と言えば、基本的には、やはりその人の20歳前後の頃になろうかと思う。なにか困難なことにでも体当たり的にぶつかっていくのには、最も適した時期だろう。
僕も、その頃に、いろんな本に興味を持って、いろんな本を読んだ。勿論、ひとつひとつ精確に読めたわけではないし、覚えていないことも多い。それでも、たとえばスピノザとかハイデガーとかフーコーとか、あるいは記号論とか貨幣論とか、そういうタフなものに触れることができたのは、現在や未来の僕にとって大きな財産になっていると思う。
一方で、読みたいと思った本のなかにも、「読めなかった本」や「読むまでに至れなかった本」が数多く存在する。いつか読んでみたいなとは考えつつ、ちょうどいい機会も、そして向き合うための気力や体力も無く、読まないままになっている本だ。リチャード・ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』は、僕にとって、そういう本のひとつだった。
ここ最近の僕は、食事中に電子書籍を読むということを、習慣、ならびに日々の一番の楽しみにしている。未読のストックが少なくなり、次読む本を探している時に、100分de名著シリーズから『偶然性・アイロニー・連帯』が出ていることに気付いた。ゲスト解説者は、『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす』の朱喜哲さん。こちらの本もまた、読みたいと思ってメモしてあるもののひとつだ。その併せ技ともなれば、なんとなく読むべき気がしたというか、そういうめぐり合わせだと思い、買って読んだ。
結論から言って、とても良かった。こういう内容なら、もっともっと早くに『偶然性・アイロニー・連帯』に触れ、この考え方を自分に加えることができていればな、と思った。しかしその一方で、あまり早くに触れすぎても、この内容の重要さに気付けなかったんじゃないか、とも感じた。
確かに気力や体力の面で最も充実しているのは20歳前後の頃だろうけど、その時期というのは、主に人生経験の少なさに由来する視野の狭さや判断の粗さ、ライフステージの変化に伴う焦燥感と、それがもたらす感情的余裕の無さを持つ時期でもある。その時期の人間に、ローティ的な成熟した思いやりを持つことができるかどうかと問われれば、きっと簡単ではないと答えざるを得ない。
朱さんの読み解きによれば、ローティは、哲学を「『人類の会話』が途絶えることのないよう守るための学問(P.11)」として捉えたという。伝統的哲学は「真理」を探究し、そこへの到達を、つまりは最終的には「終わり」を目指している。それに対しローティは、「議論や会話を終わらせようとする勢力に抵抗し、それらを批判的に吟味することで、会話が絶滅しないようにすること(P.11-12)」こそが使命なのではないかという、ある種のアンチ哲学を唱えた。だからこそ、哲学界から半ば追放されるような憂き目にも遭った。
僕は、あらゆる対立が会話だけで解決可能だと考えるほど「うぶ」ではない。しかし、会話なしに解決される対立は無いとも思っている。誰かを黙らせるためではなく、話し続けるための努力をしようというローティのアイディアは、まさに現代において必要なものだと感じられる。
目的はバラバラで、「同調を避け」ているけれど、お互いを保護するという意味では協力することができる。そんな者たちがそれでも何とかやっていく。それがローティの言う「リベラルなユートピア」という社会の描像です。
そんなリベラルなユートピアの市民に必要なのが、「自己の偶然性」の認識です。一緒にやっていく人同士のあいだでは、自分が相手に影響されたり、相手が自分に影響されたりする可能性があると認識する。つまり、それぞれが変わりうる存在であり、必然に固執するのではなく偶然に開かれていることを確認する。そうやってお互いを改訂されることに対して開きながら、どうにかしてときには手を携える。そこに、連帯の可能性や必要性が出てくるのだとローティは言います。
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朱喜哲(2024)『NHK 100分de名著 ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」』 NHK出版 P.34
真理らしきものによって相手をねじ伏せるのでもなく、真理の登場をもって以後沈黙するのでもない。共通の目的も持たなければ、同調することもできない。しかし、そのままで何とか「お互いを保護」し、「協力」を模索する。煮えきらない態度に見えるかもしれないけど、実際のところ大事なのはこういう類の努力(ないしは工夫)を続けることなのだと僕は思う。
読書や勉強とは、「(解説本ではなく)著作そのものを」「できれば原文で」読むことが望ましいと考えている時期は、僕にもあった。ただ、そのハードさとシリアスさによって自縄自縛し、まったく読めずじまいになるよりは、少しだけでもエッセンスに触れられるほうがいい。今ではそのように思う。
だいたいのアイディアというのは自分より先に考えている人がたくさんいて、その中でも特に卓越した人が言語化を既に試みているものだ。その言語化されたアイディアに触れることで、自分はまた「改訂」されていく。そして、自分がそうなり得るということは、他者もまたそうなり得るということでもある。
こうした機会を多くの人々に開いてくれているという点で、100分de名著シリーズは大変ありがたいと感じる。
『NHK 100分de名著 ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」』
朱 喜哲 著
545円 A5判 116頁 978-4-14-223160-7
NHK出版 2024年1月25日 発行
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000062231602024.html
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