『スローシティ』

朝日新聞の「折々のことば」という連載記事で、鷲田清一さんが『ベルリンうわの空』から言葉を紹介してくださったらしい。『ウンターグルンド』のコラムの一節だ。

友達に食事をおごったり、知り合いに何かをプレゼントするようなことがあるけど、見ず知らずの人にはあんまりしない。だけどそういう「1か0」ではなく、0.1とか0.2がたくさんある街が僕は好きだ。
(中略)
見ず知らずの他人同士の関わりがゼロではなくすこしだけ日常的に発生するのが、なんとなくありがたい感じがする。それは、僕のような移民や、友達の居ない人、孤立しがちな人でも0.1を集めれば病まずに済んだり、地域の居心地がよくなったりするからかもしれない。
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香山哲(2020)『ベルリンうわの空 ウンターグルンド』 イースト・プレス P.133-134

おそらく鷲田さんは相当多忙で引っ張りだこだろう。であるからこそ、そんな方が『うわの空』に時間や注意を割いてくださったことや、そんな方にまで『うわの空』が何らかの経路で届いているということを知り、制作に関わった人間として、また鷲田さんの著書から少なからぬ影響を受けてきた人間として、僕はとても嬉しく感じた。

「1か0ではなく、0.1とか0.2がたくさん」のコラムは、なんとなく気に留めてくださった方が多かったようで、本の感想文や紹介文などでも引用されているのをしばしば見掛けた。そういう「0.1」の関わり合いがあれば生活が助かったり楽しくなったりしそうだと感じる方が、それだけ多いということでもあるだろう。

あえて僕が何かを補足するなら、このような関わり合いが起こるのは、必ずしも「ベルリンだから」とか「ヨーロッパだから」とかではない、という点だ。つまり、日本においても起こりうる/起こしうることだし、それが自然と起こっている場所も存在しているはずである。

感じるオープンダイアローグ』という本を読んでいたところ、この本のなかで岡檀(おか・まゆみ)さんの研究に触れる記述があった。岡さんは、日本国内の自殺者の少ない地域=自殺希少地域に関しての研究を通じ、生き心地の良い町とはどういう町か、といった思索を進めている方だ。

従来から、自殺者の多い地域=自殺多発地域に焦点を合わせ、その危険を高める要素=自殺危険因子を探そうとするアプローチは世界中で多く行われてきた。それとは逆に、危険を抑える要素=自殺予防因子があるのではないかという仮説に基づいて自殺希少地域に焦点を合わせたところが岡さんのアプローチの新しさだった。

何かが無い状態・少ない状態について論じることは、いわゆる「悪魔の証明」じみており、困難がつきものである。そのため、岡さんがそのようなアプローチを始めようとすることを諫める先輩方もたくさんいたようだが、ともかく岡さんは逆側からの研究を進めた。そして、自殺予防因子だと考えられるような幾つかの要素を発見した。

私はその日まで、世界の中にある苦悩は、苦悩そのものを研究することによってわかることがあると思っていた。たとえば自殺について深く知るためには、自殺に関する研究をするしかないと考えていた。

そんなある日、岡檀氏(当時、慶應義塾大学大学院)が、日本社会精神医学会というところで優秀論文賞を受賞して発表していた。そのときたまたま、私はその会場にいて、強い衝撃を受ける。それは、自殺で亡くなる人の少ない地域(自殺希少地域)に関する研究発表だった。自殺で亡くなる人が多い地域のことは自分でも調べていたのだが、亡くなる人が少ない地域のことには思いを巡らせていなかった。

(中略)

岡さんは、自殺希少地域で発見した言葉を紹介してくれた。「人間関係は疎で多」「ゆるやかな紐帯」「近所づきあいは挨拶程度、立ち話程度」「右へ倣えを嫌う」「病は市に出せ」「学歴とか肩書でなく、人物本位」……。
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森川すいめい(2021)『感じるオープンダイアローグ』 講談社 P.35-36

自殺希少地域で発見した言葉として岡さんが紹介している言葉のうち、前半3つは、まさしく「0.1とか0.2がたくさんある」という状態を示しているように感じる。まばらで薄いコミュニケーションがたくさんある状態。『うわの空』で「0.1とか0.2」の表現が使われたのは「あげますボックス」のコラムにおいてであるため、そこでは物質的なコミュニケーションのほうにややピントが合っている(ように読解しやすい)が、非物質的なコミュニケーションについても「0.1とか0.2」のありがたさは大きくて強いだろうと僕は思う。

後半3つの言葉はどのようなことを指しているのだろうか。特に、「病は市に出せ」という言葉は意味が掴みにくい。この言葉の意味を含めて、岡さんの研究が最も直接的に示されている本は、おそらく10年前に発売された岡さんの著書『生き心地の良い町』だと思われるが、まだ僕はこの本に接したことが無いので、YouTubeでアーカイブ化されている岡さんの講演動画を参照する。

先ほどの引用した言葉6つを、講演動画で紹介されている5つの自殺予防因子に当てはめると、およそ以下のようになるだろうか。

「人間関係は疎で多」 → 1
「ゆるやかな紐帯」 → 1
「近所づきあいは挨拶程度、立ち話程度」 → 1
「右へ倣えを嫌う」 → 2, 3, 4
「病は市に出せ」 → 5
「学歴とか肩書でなく、人物本位」 → 2, 3, 4

あくまでも当てはめて考えただけで、これらはもちろん実際には厳密な対応関係を結んでいるのではなく、それぞれが重なり合ったり混じり合ったりしつつ地域の文化や雰囲気を醸成しているだろう。

2, 3, 4から窺い知れるのは、「あなたはあなたで、私は私」という態度だ。しかもその「あなた」や「私」を、ある特定の時点でもって固定的に捉えることはせず、動的に変わりうるものだとして理解する。こうした人間観が人々に浸透しているのは、まるでヨーロッパの先進的な地域のように感じるかもしれないが、徳島県の小さな町についての話である。

「病は市に出せ」というのは、岡さんが研究してきた町(旧・海部町/現・海陽町)に伝えられてきたスローガンのようなものであるらしい。ここでの「市」とは、市役所のような「行政」ということではなく、「市井」、つまり周りの人々ということだろう。何か困りごとがある場合、それを自分ひとりで抱えようとはせず、気軽に周りに共有する。共有さえできていれば、すぐの解決ができない時でも、周りが「0.1とか0.2」を寄せ合って困りごとを軽減することも実現しやすいと思う。

たとえば「Aさんは今、胃腸の具合が悪く、歩いたりするのがつらい状態らしい」ということが分かっていれば、近くに住んでいる人は自分の買い物をする際にAさんのぶんまで一緒に買って帰り、Aさんの家のそばに置いておくようなこともできる。この例だと、人によっては「0.7」くらいに感じるかもしれないけど、勿論もっと小規模な関わり方もありうる。

骨折などの一部を除き、人間が抱える多くの不調や困りごとは目に映らず、他人には分からない。だからこそ、自分の困りごとを周りに共有することや、共有しやすいような場所づくりが大事になる。こうした関わり合いの重要性を認識しケアの文脈で取り入れたのが、フィンランドで始まった「オープンダイアローグ」だが、日常的な範囲でも同じようなことは行える。

この画像の右下の表は、自殺希少地域である旧・海部町と、自殺多発地域であるA町の、近所の人達との付き合い方の比較だ。ずいぶんと差が大きいが、どちらの町も徳島県内にある。同一の都道府県内であっても、このように文化はまばらであるため、岡さんは市区町村データ(※)を用いている。

※
なお、用いている市区町村データは「平成の大合併」以前のものである。合併後の、つまり現行の市区町村には、異なる地勢・産業・歴史・文化的背景が混在しており、地域特性の抽出が難しい。

「ご近所さん同士での助け合い」のようなフレーズを聞いた時、頭に浮かんできやすいのはどのような付き合い方だろうか。それはおそらく「日常的に生活面で協力」するような姿だろう。しかし、そうした付き合い方が色濃く表れているのはA町のほうで、旧・海部町ではむしろ希薄だ。逆に、旧・海部町では「あいさつ程度」の関係も多いが、A町では少ない。「あいさつ程度」「立ち話程度」の関係であっても、相互に少しずつ助け合っているということが積もり積もって旧・海部町の生き心地のよさに繋がっているようだ。

画像左側の「みせ造り」≒ベンチの写真は、僕が同じ時期に読んだ別の本のことを想起させた。『スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』という本だ。書名でほとんど語られているけれども、イタリアの小さい町で広まった「スローシティ」運動について書かれた本であり、偶然か否か、岡さんの『生き心地の良い町』と同じく2013年に出版されている。

スローシティの条項の中で、個人的にもっとも気に入っているのは、この町中にベンチを増やそう大作戦である。観光客がやってくる旧市街だけではなく、地元の人だけが暮らす新市街にも充分にベンチがあるか、というのが、スローな町の大切な条件なのだ。そのココロは、本当に誰もが住みやすい町なのか、お年寄りも、身体が不自由な人も、お腹の大きな女性も住みやすいのか、ということである。
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島村菜津(2013)『スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』 光文社 P.76
近頃は、イタリア各地の湖畔や海岸線で、このベンチ大作戦がさかんに展開されているようだ。そしてこの数年、オルヴィエートでもまた、明らかにベンチが増殖した。 肉屋やバールの前にも新たな作品が登場していた。そしてバールのベンチでは、昼寝する猫に1人分を占領され、常連のおじいさんたち3人組が、少し窮屈そうに腰かけて、おしゃべりをしていた。夕方、ひょいっと路地を覗くと、ホルシュタインのベンチで、豊満なお婆さんが杖を休め、通りかかった女の子と話をしていた。見ているこちらまでほのぼのした。 毎日、腰かける愛着のあるベンチは、小さな交流の場でもあった。
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島村菜津(2013)『スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』 光文社 P.83

「スローシティ」とは人口5万人以下の小さな町のネットワークで、1999年に生まれた。また、2001年には「フランスの最も美しい村」運動に倣って、より小さな村のネットワーク(「イタリアの美しい村連合」、人口1万5000人以下の村)も生まれた。

日本では、「日本で最も美しい村」連合が2005年に成立し(※)、それとは関係なく宮城県気仙沼市(2013年)と群馬県前橋市の一部地域(2017年)が「スローシティ」への加入を果たしている。

※
言葉による微妙な作用を気にするタイプの人間としては、先例どおり「日本 "の" 美しい村」とするのではなく「日本 "で" 美しい村」と助詞を換えたものが連合名に据えられている点に色々と感じ入る。

かねてより僕は、人間が人間同士として互いに充分に尊重し合いながら交流できるコミュニティの規模には限度があると考えている。具体的には、50人から200人の間くらいの規模だと思う。その集団の内部で、日常的には数人から十数人での集合離散を繰り返しながら活動する。同じ霊長類であるチンパンジーの集団規模が100頭前後であるということも踏まえると、一定程度には妥当な数字だと思われる。規模がそれよりも大きくなるにつれて見ず知らずの他人が増え、「個人と個人」という交流の仕方ではなくなっていく。

スローシティの「人口5万人以下」という規定は、各地域のコミュニティの規模がそうした規模に収まるような、または離れすぎないような自治体の大きさの限度として設定されているように思える。その5万人という数字も、あくまで限度として設けられているのであり、実際にはそれよりも少ないほうがいいと考えられていることが次のような言葉から窺える。

70年代から役場の職員として町の回復期を見守ってきたパオロは、90年から2004年まで町長を務めた。まず心がけたのは、町の肥大化を防ぐことだった。

「当時、町の人口は1万3000人にまで回復していた。だが、決して3万人にはしたくなかったんだ」

その理由が穿っていた。

「フィレンツェの郊外には、成り下がりたくなかったんだよ」

東京の典型的な郊外の住人としては、訊き返さずにはいられない。その郊外とは、どんな意味なのか?

「フィレンツェほど美しくもない、ついでに立ち寄るくらいの町。いや、それならまだましだ。下手をすれば、フィレンツェのベッドタウンだ。ただ眠りに帰るだけの町、働く場もなく、人が集まる広場や市街地のような中心もない。福祉もなく、農業のようなものづくりさえ失われた町。そんな町には決してしたくなかった。そんな町では、人は年をとりにくいからね」
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島村菜津(2013)『スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』 光文社 P.31

70年代に約1万人にまで減少したグレーヴェ・イン・キアンティという町の人口は、パオロさんが町長を務める頃には「1万3000人にまで回復していた」。しかし、「決して3万人にはしたくなかった」。人口はただ増えればいいというものではない、というこの考え方が大事だと僕は思う。そして、何気なく通過してしまいそうになるが、結びの部分の「そんな町では、人は年をとりにくいからね」という言葉にも含蓄がある。

今回の記事の関心に引きつけて言えば、「コミュニケーションが適切にある町では、人は年を重ねられるが、不足している町では、人は年を重ねられない」ということになりそうだ。当然ながら、ここでの年への言及は、外見は若々しいほうが良いなどという浅薄な話ではなく、他者への配慮や理解を適切に行えるような経験知などと結びついていると思う。

「あいさつ程度」「立ち話程度」での関係でも困りごとを共有し合うことで、他者がどのような困りごとを抱えているのか、それはどんな風に大変なのか、どうしたら解決できるか、あるいは解決できないにしてもどのように自身の人生の一部分として受容していけるか、そしてその困りごとは一体どれほど自分の目には映らないのか、そういったことが徐々に分かっていく。一方で、自分だけの困りごとのように思えていたことが、実は周りの人も同じように悩んでいたのだと気付くこともあるだろう。

また、自力で暮らしていたように思える時期も、振り返ってみれば、ずいぶん周囲に助けられていたことに思い至ったりもする。その発見を経て、今度は自分が「周囲」の役に回って誰かを助けよう、という気持ちになることも不思議ではない。個人がそのように経過し、推移し、変容していくことが、パオロさんの「年をとる」という言葉が意味するところ(の一部)だと僕には感じる。しかも、個人が変容していくさまが大切にされる(「人の評価を固定させない 多角的に長い目で」)ような町ならば、それは確かに生き心地が良いと感じられそうだ。

こうした認識を抱いた上で、自分が住んだり訪れたりできそうな範囲にそのような町が見つからなければ残念に思うだろう。だが、諦めたり嘆き続けたりする必要は無い。

社会学者のマリオ・モッチェッリーノ教授の言葉は、簡潔だが心に響くものがあった。

「現代社会は、そこに参加すればするほど、社会のスピード化に加担することになる。それは科学やテクノロジーばかりでなく、文化的レベルにおいても何ら変わらない。気がつけば何かが加速し、そこに加担している……そうした変化の原因について、私もまだ答えを出し兼ねていますが、ただ、それを解決する哲学の一つが、スローではないか、と考えるのです。だが、それは遅さであって、決して停止ではない。止まることほど愚かなことはない。大切なのは、まず、自分が走っていることを自覚することです……。ここで我々が問われているのは、公文書的な関係ではなく、より具体的な効果のある関係を築くことです」

スローシティのテーマは、結局、たとえスローとは無縁な大都市に暮らしていたとしても、そこでいかに暮らすかという具体的な選択において、私たち個々に課せられたものである。教授の言葉は、このことを改めて教えてくれた。
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島村菜津(2013)『スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』 光文社 P.87-88

「いかに暮らすかという具体的な選択」。人々のそれが「0.1とか0.2」ずつでも積み上がっていけば、町のほうも変わっていく可能性がある。また、町という大きな単位では変化しなくとも、自分が直接的に関わるコミュニティは変わっていくかもしれない。


『スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』
島村菜津 著
924円 新書判 285頁 978-4-334-03736-9
光文社 2013年3月20日 発行

https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334037369

この記事内の『スローシティ』および『感じるオープンダイアローグ』の引用箇所は、Kindle版でのページ数を示しています。

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